日々の暮らし

バレエに魅せられてー股関節痛と共に歩んだ道

この記事では、私が子どもの頃から憧れて続けてきたバレエと、股関節痛との長い歩みについて書いています。

思うように体が動かなくても、痛みがあっても──それでも踊り続けたい。
そんな気持ちを抱きながら、骨切り術や幹細胞治療、そして人工関節の選択に向き合ってきました。

人生の転機ごとに寄り添ってくれたバレエの存在を、ひとつの記録として残したいと思います。
同じように悩みや迷いを抱えている方に、少しでも共感していただけたら嬉しいです。

子どもの頃からの憧れ

私は子どもの頃から、音楽に合わせて踊るのが大好きでした。
テレビでバレエを見て、「私も習いたい」と思ったものの、習わせてもらうことはできませんでした。

大学時代はジャズダンスにのめり込みましたが、本当はずっとバレエを習いたかったのです。
当時は今のようにネットで検索できる時代ではなく、バレエ教室は「お嬢様が子どもの頃から通うもの」というイメージが強く、敷居の高さを感じていました。

大人から始めたバレエ

その憧れから「娘が生まれたら絶対にバレエを習わせる」と決意しました。
結婚後、娘2人にバレエを習わせ、先生にお願いして大人クラスを作ってもらい、ついに念願のバレエをスタートしたのです。

週1回のレッスンは何よりの楽しみで、娘と一緒に発表会にも出演しました。
大人から始めても舞台に立てる喜びを味わうことができました。

引っ越しや仕事の都合で一度は中断しましたが、やはりバレエが好きで再開。40代で正職員として働くようになってからも、隔週の夜クラスに通い続けました。

股関節痛の発症と、治療よりも優先した日々

長女の大学受験に同行したときのことです。
その日は一日中歩き回り、慣れない移動で疲れていたのですが、突然、右股関節に強い痛みを感じました。これまでにない感覚で、「何かがおかしい」と直感しました。

整形外科を受診すると、「先天性臼蓋形成不全」と診断されました。
生まれつき股関節の被りが浅く、加齢とともに軟骨がすり減って痛みが出る病気だと言われたのです。先生から病気の説明を聞きながら、「このまま悪化したら、私は大好きなバレエを続けられなくなるのではないか」という不安が押し寄せました。

しかし、当時の私は夫が仕事人間で家庭を顧みず、義父母との同居や家事、フルタイムの仕事に加えて娘たちの世話もあり、とても自分の治療を最優先にはできない状況でした。
毎日がめまぐるしく過ぎていき、結局は「温存療法で様子を見ましょう」という選択をせざるを得ませんでした。

それでもバレエだけは続けたいという気持ちが強く、「やめたくない」という一心で鍼治療に通ったり、加圧トレーニングを試したり、効果があると聞けばさまざまな方法に挑戦しました。
痛みと折り合いをつけながら、自分にできる最善の治療法を模索する日々でした。

50歳で骨切り術を決断、そして復帰までの道のり

50歳の時、私は「最後の思い出に」と覚悟を決め、発表会に出演しました。
当時は痛みを抱えながらも「これが最後になるかもしれない」と思い、週3回のレッスンを無理して続けていました。
しかしその結果、股関節の状態はますます悪化してしまいました。
舞台に立てた達成感は大きかったものの、その代償の重さも痛感しました。

その後、次女が大学生になり手が少し離れたタイミングで、私は「骨切り術」を受ける決断をしました。
当時はまだ「人工関節を入れたら運動はできない」という考えが一般的で、バレエを続けたい私にとって骨切り術しか選択肢がなかったのです。
手術を受けることは大きな不安も伴いましたが、「もう一度バレエを踊りたい」という思いが背中を押してくれました。

2か月の入院生活を経て、まずは仕事に復帰。
そして術後1年が経過した頃、ようやくバレエのレッスンに戻ることができました。
体は硬くなっていて、以前のように思うようには動けませんでしたが、初心者クラスから少しずつ慣らしていきました。
リハビリのように基礎から取り組み、術後2年が過ぎた頃にやっと元のクラスに復帰することができたのです。

ちょうどその頃から、両親や義父母の介護が始まりました。
精神的にも肉体的にも疲れる毎日の中で、週に1度のバレエだけは私の心を解放してくれる時間でした。
痛みや制約があっても、バレエが唯一のストレス解消であり、生きる支えになっていたのです。

別居と留学を経て、再び始めたバレエと新たな痛み

父や義母の死、そして夫とのギスギスした生活…。
心身ともに追い詰められるなか、私はついに別居を決意しました。
新たに仕事を見つけ、自分の力で生活を立て直し、長年の夢だった留学も実現。
振り返れば、この決断は私の人生において大きな転機となりました。

留学から帰国した後、再びバレエを始めました。
しかし、長いブランクと年齢の影響で体はすっかり硬くなっており、思うように動けないもどかしさを感じました。
さらに今度は、これまで痛みがなかった左股関節にまで違和感が出始め、次第に痛みが強まっていきました。

それでも私は「踊りたい」という気持ちを捨てきれず、痛み止めを飲みながらレッスンを継続しました。バレエがあるからこそ心のバランスを保てていたのだと思います。

しかし、現実は厳しく、痛みは日に日に悪化。
骨切り術の適応年齢を過ぎていることもあり、「もう人工関節に頼るしかないのか」と暗い気持ちになる日々が続きました。
それでもバレエを諦める気持ちにはなれず、葛藤と不安の中で模索を続けていたのです。

幹細胞治療と人工関節への決断

そんな時、私は「幹細胞治療が股関節にも応用されている」という情報を知りました。
それまでの治療では思うような改善が得られず、人工関節に進むしかないのかと暗い気持ちになっていた頃だったので、「もしかしたらこれで股関節を守れるかもしれない」と希望がわきました。

幸い、離婚で得た財産の一部があり、その資金を元に思い切って両股関節に幹細胞投与を受けることを決断しました。かかった費用は約100万円。安い金額ではありませんでしたが、当時の私にとって「バレエを続けたい」という思いは何よりも大切で、可能性があるなら挑戦してみたいという気持ちが勝ったのです。

投与から数か月は、確かに調子が良くなったように感じました。レッスン後の強い痛みが和らぎ、「もしかしてこのまま続けられるのでは」と希望を持てる日もありました。
しかし、その効果は長くは続きませんでした。3か月ほど経つと、再び痛みが戻り始め、天候や体調によってはレッスン後に強い痛みを感じるようになりました。

結局、再投与を行うのか、それとも人工関節手術に踏み切るのか――私は再び難しい選択を迫られることになったのです。

友人から「人工関節になっても運動できる」と聞き、半信半疑で調べてみました。
すると驚いたことに、現在の術式は大きく進歩していて、運動も可能であり、しかも両股関節を同時に手術することもできると分かりました。
そこで主治医に「バレエに復帰できるかどうか」を確認したうえで、ついに人工関節手術を受ける決断をしました。

おわりに

子どもの頃から憧れ続け、人生のさまざまな局面で寄り添ってくれたバレエ。
股関節痛や手術を経てもなお、私は「バレエを続けたい」と思い続けています。

思うように動けない時期があっても、踊ることは心を解放し、生きる力を与えてくれます。
これが、私がバレエをやめずに続ける理由です。

次回は、両股関節の人工関節手術を受けてから、実際に私の生活やバレエがどう変わったのかを綴ります。
同じ悩みを抱えている方や、手術を迷っている方に少しでも参考になれば嬉しいです。

ABOUT ME
ピルエット(社労士&FP/Reiko)
ピルエット(社労士&FP/Reiko)
50代で熟年離婚を経験し、夢だった語学留学や資格取得に挑戦。 60代から社労士・FPとして再スタートしました。 今は美容や健康の工夫、大人バレエの挑戦、日々の小さな幸せを綴っています。